一般社団法人はなそう基金
http://ameblo.jp/let-us-talk-foundation/
設 立 2012年3月
本 店 東京都国立市
主な事業 ・被災地における英語及び外国語教育
・被災地の事業者への経済的、物的、知的、精神的支援
ほか
*大槻美菜行政書士事務所では、2012年3月、一般社団法人設立のお手伝いをさせていただきました。
インタビュアー コメント
世界数十カ所に拠点を持つ大きなコンサルティング・ファームの日本代表を務めている古森さん。でも、実際にお話をしてみると、そんな肩書きをすっかり忘れてしまうほどに、気さくで、ざっくばらんで、とても親しみやすい方です。
2011年3月の大地震以来、陸前高田での英語教室を開催されており、一年経ったこの時期に法人化しようと、一般社団法人を立ち上げられました。
私も、古森さんの紹介で陸前高田を訪問させていただき、現地の方とお話をさせていただきましたが、古森さんの英語教室が、現地の方々の心の支えのひとつになっていることが、ひしひしと感じられました。
私にはなにができるだろう。それはまだ分かりませんが、想いがあったら行動に移せる人でありたい、古森さんと出会って、そして今回のインタビューをさせていただいて、改めてそんなインスパイアを受けました。
[2012年5月8日]
●インタビュアー:大槻 美菜
●インタビュイー:一般社団法人はなそう基金 代表理事 古森 剛さん
『一般社団法人を設立された経緯を教えて下さい。』
そもそもは、被災地の支援をしよう、それをなるべく個人というよりも法人にして、安定的にやっていこう、というのが趣旨です。
はい。
震災が起きてすぐ4月くらいから、ある団体を通じて、物資の支援を始めたんですね。結局、今年(2012年)の3.11くらいまでずっと毎週物資を送っていました。
毎週はすごいですね!
世の中の団体ってどこに届いたかわからないことが多いんですけれど、たまたまその団体は、どこにいくら行きました、とか、反応がどうでした、とか言ってくれるところだったんです。
なるほど。
それで、送り始めると毎週のことなので、そこの人たちとも親しくなり、そのうち物資を送っている場所に、1回は行きたい、と思うようになりました。そして、行き先として一番多かったのが陸前高田でした。
そこでは薬局も全部流されちゃってお年寄りが病院に行っても薬が無い、なんていう状況で、その団体のリーダーが薬局を作ることにしたんです。
先日、古森さんのご紹介で、私も行ってきました。竹駒小の根元にある、プレハブ建ての薬局ですよね?
そうです。その薬局の倉庫が送り先になっていたので、ふと9月ごろに、まずはそこにいる人たちにお疲れ様って言いたいなと思いまして。さらに出来れば、現地の方々にもお会いしたいなと。で、とにかく行ってみようと、車で走り出して行っちゃったわけですよ。
へぇー。
実際行ってみて、いろいろわかりました。物資を沢山送っても余るときは余るし、逆に少ないと喧嘩になるから配れないし、とか、とても現実的な事情がありましたね。
なるほど。
必ずしもみんなが物に困っているわけじゃない場合もあれば、逆にこんなものすらないのか、ということもあって。
まあとにかく、現地の方々とお話ししているうちに何だか縁を感じてしまって、「また来るよ」って言っちゃったんです。
おお。
だからまた10月に来て。そんな中で、現地の方々ともだんだん深い話になりましてね。亡くなったご身内のお話だとか、流された家のことだとか、その方の人生とか、仮設住宅に上り込んでいろいろ話しているうちに、なんとなく他人じゃないような感じになってきまして。
ええ。
なんかしなきゃいかんな、と思って。それで、ふと思ったのが、自分には英語があるなと。仕事上も英語を使っているし、東京では英語勉強法のセミナーなども開いていましたから。その関係の本も出していますし。
そのアイディアを現地で話してみましたら、意外に好反応だったのです。それで、それなりにニーズがあるんだなと思いました。物資とかじゃなくても、自分が来て何かをやる、っていう形で役に立つんじゃないかなと思って。
はい。
例えば学校が使えなくなっていたり、授業が遅れていたり、教科書も流されていたりで、子どもたちの勉強が遅れることを親御さんはみんな心配していました。
そこでやり始めたのが、英語音読会です。僕は海外では「コ モ」って言われていますので、「Komo’s英語音読会@陸前高田」っていう名前で始めてみたんですよ。現地の方も好意的にいろんな人に声をかけて下さっ て、思ったよりも人が集まってくれました。それで、これは良いのかも、という話になって。
良いですね。
現地の人も、これなら毎月来てみよう、って人がいたりして。これで役に立つんだったら自分には出来るぞ、と思えました。だからこれを続けようと。でも、そうこうするうちに、また口の悪い人たちがいてね(笑)。
ほう。
どうせ、こういうことを始めても、途中で来なくなったりするんでしょ、とか言われてね。半分冗談なんですけど、でも、継続する意図を問われていたのは確かですね。
うーん。
だから、そんなことはねえ、と。10年ぐらい来ますよと言っちゃったんです。
大きく出ましたね。
半分勢いで言ったんですよ。そうしたら、10年来るんだ!って話になって。それで、10年行くことが決まってしまったんです(笑)。
(笑)
当初は、生徒は中高生がメインだと思って募集しました。小学生は先に国語をやってほしいので、対象外と書いていたのです。でも、小学生じゃダメですか?という問合せもあって、じゃあ、いいですよとかね。
あとは、おばちゃんたちも来ていて、カルチャーセンターじゃな いけれど、月に1回東京から人が来て、その時に英語をやるだけでも楽しいということらしいんですね。たまに外国の方が現地に来ているときに、ちょっと道を 聞かれて、今まで英語なんか考えたこともなかったけれど、「Post Officeどこですか」って聞かれて、あっちだって答えられた、とかね。
へぇ、凄いですね。
そうすると、聴こえた、言えた、っていうのがものすごく嬉しいらしくて。今は絶望的な環境ではありますけれど、そうするとこう、希望とかも出てくるじゃないですか。意外に英語で元気になっている人もいるみたいだし。少しは心の支えにもなっているかな。
ええ。
だったら一番簡単なフォーマットでありながら、ちゃんと法人になるということで、一般社団にしたらいいなと思って。震災からちょうど1年くらいの節目の時期に、個人の活動が法人になって、永続的な活動になる、というのも良いなと思いました。
『法人名の「はなそう」に込められた想いは何ですか?』
「話そう」という言葉は、結構早い段階からぽんと浮かんでいたんですよ。もちろん、英語で「話そう」というのが字義通りの意味なんですけど。
でも、英語は本当のところはツールであって、英語を毎月勉強する場をきっかけにして、色々「話そうよ」という思いがありました。英語とまったく関係ない相談とかも結構あったりして。
あるんですか?
色々と、ありますよ。結局、僕のやっていることは、要するに「つながって、お話をしましょう」、ということなんだなと、ずっと思っていました。
なるほど。
人と人が話すことで、物資や金銭とは別のところで楽になるとい うか。精神的に追い詰められて自殺されている方も、あまりニュースには出ませんけれども、けっこういらっしゃるみたいですし。凝ったことではなくて、人と 人の会話が色々な形で増えていくことが大事なんじゃないかと思っているのです。
ええ。
とにかく話そうよ、と。それで、英語の勉強をして、英語で現地からの情報を海外にも発信していけば、いずれは興味を持って現地に来る人もいるかもしれないでしょう。海外から来るようになれば、地元経済にもプラスになりますしね。