私は2000年より、フィリピンの孤児院を支援する活動をしています。
毎年夏には、可能な限り、子どもたちに会いに行っています。訪問中は、話をしたり、歌を歌ったり、運動会をしたり、ダンスをしたり。とにかく一緒に遊びます。
日本にいる間は、孤児院へ寄付するお金を集めるために、日本でさまざまなチャリティーイベントを開催します。
マラソン大会、コンサート、BBQ、クリスマスパーティー、ハロウィーンパーティー、フリーマーケット、料理教室、就職活動セミナー、ビジネスセミナーなどなど。
イベントも、メンバーが、好きなこと、得意なことをテーマに開催するので、内容はさまざまです。
私も2000年から今までの間、もはや数えきれないほどのイベントを企画、運営し、携わってきました。
日本で集めたお金を、子どもたちの、大学への進学費として、寄付をしているのです。
フィリピンは大学を卒業してもなお、定職に就くのがとても難しい社会です。特に血縁やコネクションの影響力の強いフィリピンで、孤児の子どもたちが自立して生きていくのはとても厳しいのです。
でも、だからこそ、まずは大学や専門学校を出なければ、自立のスタートラインにすら立てません。私たちは、そんな子どもたちが、社会に出て自分の力で生きていけるようになることを心から願っています。
今やそれほど強い子どもたちとの絆ですが、実は出会いは、全くの偶然でした。
当時私は大学生で、就職活動をしていました。あるとき、その仲間たちと一緒にフィリピンを訪問し、いくつかの孤児院を訪問しようということになりました。
小さな子どもたちばかりがいる施設もあれば、大人数で暮らしているような孤児院もありました。虐待を受けて保護されている子供ばかりの施設もありましたし、とても大きな施設もありました。
そんな中で、今も支援を続けるこの孤児院の子どもたちとは、なぜかあっという間に友人のような関係が生まれたのです。
それでもその時は10年以上も先までこの活動や関係が続くなんて、誰一人、思ってもいませんでした。
もう一回会いに行ってみよう。もう一回だけ行ってみようか。と、何年か訪問をしているうちに、この活動は続けるべきなのではないか? と、徐々にみんなが思い始めたのです。
そして実はここに、ひとつの大きな奇跡のお話があるんです。
私たちが初めて訪問をした2000年、この孤児院では奇しくも、資金繰り等の都合により、大学生への支援を打ち切ることを決めようとしていた年でした。
大学生への支援を打ち切ると言うことは、高校の卒業で孤児院の支援は終了となり、大学進学の道は断たれる、ということになります。
フィリピンという国は、高校卒業の子どもが定職を持つのは不可能に近い社会。つまり、施設を出た子ども達が自立するのはとても厳しくなることを意味しており、孤児院としても苦渋の決断をしかけていたのです。
しかしそこに、突然の日本からの訪問者。少しではありましたが寄付金も持参していました。そのためその年、施設で高校卒業予定だった子どもたちは大学に進学することができたのです。
それから十数年。今も私たちは、子どもたちの大学の進学費用を寄付し続けています。
ただ私たちは、支援している、という感覚はあまりありません。
それは、私たち自身も、子どもたちやこの孤児院のスタッフの方々から、言葉では言い尽くせないほどの素晴らしい経験をたくさんもらっているからです。
毎日を一生懸命生きている。勉強を一生懸命がんばっている。私たちと話がしたいと日本語を覚えたり、100人近い私たちの名前を全部覚えて、話しかけたりしてきてくれる。
収入の多いマニラなど都心の仕事を諦めて、子ども達の親として、一生懸命働いているスタッフがいる。スタッフの方々の情熱や愛情は、生きる上で、なによりも大切なことを私たちに伝えてくれています。
最初の訪問から10年目の2010年には、当時は小さな子どもだった子が、無事に大学を卒業し、社会人となって働いている姿を見ることまでできました。
今では一つのテーブルを囲んで、同じ社会人同士として共に夢を語り合うことまでできているのです。そんな日が来るなんていうことは、2000年の頃には夢物語でしかありませんでした。
子どもたちのパワーに支えられ、スタッフの方たちの無限の愛情や努力にインスピレーションを受け、私たちも成長しています。
私はこの活動が、フィリピンの子どもたちのためだけではなく、私自身や仲間にとってもとても大切なライフワークとなっていることを実感しています。
みんなが楽しくてみんなが喜ぶ。そんな活動がもっともっと広がると良いなあと思っています。
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